こんにちわ。
今回のブログのテーマは【正論】です。
目次
せい‐ろん【正論】
私は主に10代から30代の間、
【正論】というものに悩まされてきました。
その理由は、
- これは正論。だから逆らっちゃダメ
- 相手の正論に合わせる、流される
- 自分が信じられなくなる
要は自分軸がない状態で生きていたから。
今回は私が【正論】について考えたことを
記事にしていきたいと思います。
「私が言うことは正しい!
だけど誰も聞いてくれない!」
そのような方向けの記事ではありません。
「相手の言っていることは正論だ。
だけど本当にそうなのかな・・?」
このように、相手のことを考えて迷う方向けの記事になっております。
最後まで読んでいただけたら幸いです。
正論かどうかは相手の雰囲気で決めていた

私は現在通っている精神科で検査をした時、
このような結果が出ました。
◯推測される特徴や生活上の困りごとについて
物事の捉え方がイメージ的な部分によってしまう場合はありそうです。
具体的な内容よりも、その時々の印象や気持ちの方が残りやすいようではありました。
心理検査結果説明書 2023/11/2
つまり私は、相手の言っていることが
正論だろうがなんだろうが、相手のイメージで決めてしまいやすい。
特に叱られている時、内容が理不尽なことでも
「自分が間違っている」と感じてしまうことが多かったです。
- 相手の言い方
- 相手の表情
- その場の雰囲気
これらが原因で萎縮してしまう方、
私の他にもいるのではないでしょうか。
まず自分がどう感じたかが大切
相手曰く「私の正論」をぶつけてきた時、
自分がどう感じたかを、優しく見つめてほしい。
- 言い方がキツかったね
- 嫌な気分になってるね
- 自分はどうしたかった?
「相手の言っている意味だけを受け止める」
それが苦手な方は、
まず自分を労ってほしいです。
反省、改善はそれからでも遅くありません。

初めは難しいかもですが、
自分で自分を追い込むようなやり方では
心身ともに疲弊してしまいます
何も知らずに【正論】を押し付ける

相手の状況を全部知っているわけではない。
それでも自分の【正論】を押し付けてしまった経験、
ありませんか?
- 私がそうだったからそうあるべき
- 普通はそんなことしない
- 当たり前でしょ!?

テレビの芸能人に向かってぶつけたり、
自分自身にもぶつけていました。
あとは夫や娘にも時々・・。
典型的な内弁慶ですね・・・。
そんなある日、気づきました。
誰かに振りかざした自分なりの正論は、
後々自分自身に還ってくると。

「自分軸」をしっかり持っていれば、
自分の言動が巡り巡って還ってきても対処できるのかもしれません。
昔誰かに押し付けた
【正論という名の持論】
自分の中で当たり前になっていたはずの
【価値観】
それらが何らかの形で自分のもとに還ってきた時、
- こんなはずじゃなかった
- 相手のことを言える立場じゃなかった
今までの言動を後悔する日が必ず来ます。
みんな違ってみんないい。を目指す
それに気づいてからは、自分の当たり前を押し付けるのを
止めました。

無意識で押し付けていたら本当に申し訳ないです
相手の意見や価値観に対して、
全部にいいねをつける必要はない。
だけど、頭ごなしに否定する必要もない。
誰かに物申す前に、
ちょっと考えてみませんか?
相手の状況を全て知っているわけでもないのに、
自分の当たり前を押しつけていないかと。
【正論】で自分を信じられなくなった

先ほど触れた、【正論】を押し付けてしまった経験。
その正論を自分自身に押し付けたこと、ありませんか?
- 会社でお叱りを受けた
- 仕事で大失敗した
- 子供に怒りすぎてしまった
そのような経験をした後、例えば
- 普通はこんな失敗しない
- こんなに怒られてるの自分だけ
- すぐ子供に怒るなんて親失格
自分責めと被っていますが、
誰がその考えを正しいと言ったか分からないし、
そもそも【正論】なのかも分からない。

自分の中の「こうであるべき」を
自分自身に押し付けている感覚です
脳は【自分】と【他人】の区別ができないと言います。
自分で自分を律しているかもしれませんが、違うのです。
常に隣でめちゃくちゃ厳しい人が持論をぶちまけている状態なのです。
「私はこうしたいのに、だけど本当はああしなきゃ・・・」
長年続けてきた思考で、確実に自信を失っていました。
大切な人を労うように自分自身に接する
先ほどの、
脳は【自分】と【他人】の区別ができない
それを知ってからは、自分責めを止めようと
思考を変え始めました。
何より、
「自分に厳しくて、他人には更に厳しい」
そんな自分になるのはイヤでした。

あくまで私の価値観です
誰かについキツイ言動をしてしまっても、
「自分が全部悪い」
という厳しい思考よりも、
※例え100%自分が悪かったとしてもです
「どうしてキツイこと言っちゃったかな?
自分に厳しすぎたかな?」
と優しい思考の方が、
自分の言動としっかり向き合えるから不思議です。

優しい思考の方が自分責めループがないので、
相手への対処もしやすかったです
まとめ
【正論】に対する記事のまとめです。
- 正論を言われても、自分がどう感じたかが大切
- 事情を知らずに正論を押し付けるのは危険
- 自分を労ってから正論への対処
私自信、頭の中で
「どれが正しくてどれが間違いなのか・・」
と思考のループにはまってしまった過去が何度もありました。
SNSを見ていると、
「〇〇をした方がいいと思いますよ!」
「〇〇は間違っていますよ!」
というコメントをよく見かけます。
そのコメントに同意することももちろんあります。
(何も言わずに去りますが)
だけど、
「わざわざ言うことではないと思うけどな〜」
と感じることも多くて。
私自身、昔は自分の考えが正しい(まとも)と
考えていたタイプなので、偉そうに言える立場ではありません。
だからこそ、相手がどう感じるか。
それを考えて言葉を選んでいきたいと思ったのでした。
では、最後まで見てくださりありがとうございました。