こんにちわ。
Xでもこっそり呟いたのですが、この度第二子を妊娠しました。
私自身が定職につかず崖っぷち感がありますが、念願の二人目なので自分を信じて家族と生きていきたいなと思います。
さて、私が現在通っている産婦人科は総合病院なのですが、お会計の際に
ご老人に列を割り込みされてしまいました。
その時の心情をまとめてみたいと思います。
割り込みというより、割り込ませる選択をした

ご老人に割り込みされた。その時の状況を説明します。
- 自動精算機で前の人の支払いが終わるまで待っていた
- 杖をついたご老人が割り込んでくる
- ご老人にジロッと見られる
- 思わず「あ、どうぞ」と言ってしまう
見てくださった方は「割り込んだっていうか、譲ったんじゃない?どうぞって言ってるし」
と思われたかもしれません。
「割り込まれたことをネタにしてやろう」と思い記事にしている最中に私も気づきました笑
その点は、あまり細かいことは気にせずスルーしていただければ幸いです。
割り込んできた。だとご老人のせいにしてしまいがちだけど、
私自身が「ご老人に割り込ませる」という選択をしたとも言えるのでは?と振り返ります。
一番嫌だったのは周りの目を気にしたこと

- 割り込みされた
- 思わず譲ってしまった気の弱い自分が嫌だ
事実・感情が入り混じった複雑な感情を抱いてしまいました。
つい数分前には赤ちゃんの心拍の確認ができて安心していたのに。
ですがこの感情を分析していくと、
老人に割り込まれた、結果順番を譲ったこと自体は別にいいのです。
正直一人か二人くらいならたまには譲ってもいいかな。
そんな感覚です。
「嘘だ、いい人ぶって」と思われたかも分かりませんが。
そして分析した結果、厄介だったのが
周りの目を過度に気にしていたこと。
- 割り込みされた。誰かに見られた?恥ずかしい!
- 気が弱いから譲ったって思われる?どうしよう・・
そう思われているかなんて、全く分からないのに。

気が弱いって思われるのが嫌だったんですね。
実際はかなりの小心者です。
余談:「老害」という言葉は苦手です

最近になって聞くようになった言葉じゃないでしょうか。
確かにそう呼ばれてもおかしくない方も中にはいるのかもしれませんが、せめて
「そういう人だからしょうがない」でいいんじゃないかと個人的には思ったり。
私の短い人生経験からの考えなので、違う考えの方がいてもちろん当然だと思います。
「老害」という言葉を使い、SNSなどで悪口を言い合うのを見てものすごく怖くなりました。
だって私だっていずれは老人になるのだから。

かわいいおばあちゃんになりたい笑
結論:自分の選択にイエスと言えるように
私の行動が誰かには
「じいさんに割り込まれてる。ダッセー」
と映っていたかもしれないし、
「お年寄りを優先させてる。優しいな」
と映っていたかもしれない。

大半は誰も見ていなかったかもしれない笑
先ほども書きましたが、譲ったこと自体は別にいいのです。
- 誰かの目より自分の選択にイエスと言える
- 自分軸を持つ
自分軸があれば、自分の選択に迷うことは無くなるのかなと思っています。
今回は雑記ということで、ご老人に割り込みをされた後の心情を記事にしてみました。
最後まで見てくださりありがとうございました。